軍団ひとりの放蕩ムスコラム


自分がどれだけ自分なりに頑張ってみたところで絶対にかなわない人がいる。彼女の過ごす1日は自分の3日くらいのスピードで過ぎてて、24時間の、毎分毎秒の価値がハンパなく違う。センスぶったハッタリはもう通じなくて会うのが怖くなる。
留学してる友達もいる。夏に帰国するがきっと絶句するくらいに成長してるハズ。彼女の過ごした一年も間違いなく自分の、いや大概の若者の一年とは比べものにならない意義深いものになっているハズだ。目標なく生きた自分の日々に罪悪を感じる。数時間ですら。人は常に高みを望むべきであり、若者は有り余る意欲だけは確実にある。だけ、と言うのは次の格言が大きく響いたからだ。「若い内は表現欲に駆られるがその実表現したいものは何もない」自分も学生プロレスは表現欲求を充足する一手段としてあるが他の面から表現したい気持ちがある。だがその実、表現したいものは明確には無い。そんな悩みや苦しみをプロレスにただぶちまけるのは八つ当たりでしか無い。苦悩も喜怒哀楽も執着も人間性も全て「レスラー」と言うフィルターを通して「プロレス」として、見てくれる人を楽しませなきゃ間違ってる。一人のリアルなエゴなんざ見る人は本来誰もいない。若い男の人生に価値は無いから。それをプロレスと言うフィルターでリアリティあるファンタジーとするからこそお客さんが見るに堪え得るものになる。ゆえに学生プロレスのマットの上にはリアリティがひしめいている、そうで在らねばならない。
学生プロレスは自分の試合の脚本演出ができて当たり前で、さらに自分をプロデュースできればベター。ただ着飾るだけでは虚飾に過ぎなくて、内面を滲み出してレスラーを作らなければ。だから滲み出るくらいの内面を持ってなくてはならないし、日々を鈍くも輝かしいものとして送ることが望ましい。自分も新たな思いを常に目指さなければならないし行動してみなければならない。このコラムも実際誰も読まないがネットだから誰かしらの目にはついてるだろうとの思いで綴る、ある意味リハビリに近い。
ピープルズチャンプへの道は険しい